とても不思議な感覚があった。
この経験は、言葉についての色んな洞察を
わたしにもたらしてくれた。
それは、云うなれば、
言葉がわからないという心地よさ。
日本で生きていると、当たり前だが、
言葉で理解し、言葉で思考し、
言葉でコミュニケーションをとる。
それが、一切できないとどうなるか?
というと、言葉ではない領域の感覚が
目覚めるようで、本能や五感や、第六感と
いわれるような感覚までもが、
研ぎすまされていくような感覚があった。
不思議と、行きたいところにはスルスル行けたし、
伝えたいことが伝わった。
この経験は、言葉についての色んな洞察を
わたしにもたらしてくれた。
「はじめに言葉があった」
というのは、聖書の有名な言葉であるが、
古代は言葉を扱えるのは、位の高い人だけだった。
言葉というものの、偉大さと、不思議さと、
神聖さを感じてならない。
0 件のコメント:
コメントを投稿