2017年7月28日

人生を味わい尽くすこと

去年から意図した通り、今年は
色んな学びが続いていましたが、
8月の、とある講座を最後に、
しばらくinputはお休みの予定です。




ここからは、今迄に得た学びを、
日常的に使いこなし、また、近くの人に
シェアしていこうと思っています。




今年は運を耕やす時期なので、
土作りに精を出すといった感じなのです。
狩りではなく農耕のイメージ(笑)
狩りであれば、道具の手入れに
精を出すといったところでしょうか^^




「行動する」と一口にいっても、
春には春の動きがあり、
夏には夏の動きがあり、
秋には秋の動きがあり、
冬には冬の動きがあるものです。




全ての決断は、来年以降の自分に委ねています。
白黒をすぐに出したい性質のわたしには
この感覚はとても難しいのですが、
これも対極のエネルギーの学びですね。




なので、華やかな動きはしませんが、
最幸の人生を描きながら、
最高の土を今年は育てているつもりです。





日々起きる出来事やルーティンに
人生のハンドルを取らせていては、
本当にしたいことや、
本当の幸せなんて見えてこない。




人生は長いけど、短いです。




本当に生きたい願いや想いを、
叶えてあげたいですね。




「どうなったら、本当に幸せなの?」
「本当は、どうしたいの?」




ますは、
勇気をもって、本気で聴き続けること。




直感の、さらにその奥へ。。。☆






2017年7月25日

自然に触れることの恩恵とは

今年の夏は、海に山にと、
自然に触れたいモードのようです。




海は、少し沖へ出て潜りたいと思っており、
山は、地元の霊峰である白山に登山の予定である。




普段都会の真ん中にいると、
心や魂が疲弊していることすら麻痺してきますが、
身体は正直であり、
無性に自然に触れたくて仕方がない。




しかも、公園などの造られたような自然ではなく、
大自然そのものの圧倒的なパワーを感じるような
場所に行きたくて仕方がない。




人間の意思などが入る余地のない、
ただ在ることの、美しさ。





それは完璧な、美しさ。




海に入り、波と戯れ、水と一体になる心地よさ。
山に登り、風を感じ、土の匂いを嗅ぎ、
夜には、満点の天の川の星を仰ぎ見、
朝には、東から登る太陽の光を浴びるという豊かさ。




しばらく味わっていないからこそわかるが、
それらは、魂の栄養であるに違いないと感じる。




一流の芸術品などに触れた時の魂の悦びとはまた違う、
魂への解放や活性に繋がる。




この夏は大自然にどっぷりと浸かって、
心と魂と身体の波動を、整えたいと思っています。




2017年7月22日

主体的に生きること

わたしのバイオリズム的に、夏はいつも、
意識が落ちる期間です。
ですが今年は、この落ちる時期というのを活用して、
すこぶる充実した日々を過ごしています^^




年を重ねていくと、
自分の性質だけでなく運気の波もわかるようになり、
ここ数年は、意図的にその運気の流れを活用して、
その時々のシーズンにあった動きをしています。




例えとして、春には春の、冬には冬の、
そのシーズンごとのエネルギーにふさわしい
動きというのがあるものです。



運やバイオリズムが下がる時期というのは
(ここでいう、冬のシーズン)
敬遠されやすかったりしますが、
そう捉えてしまうのはとてもナンセンスであり、
冬のシーズンをいかに活用し過ごすかによって、
次なる春の種まきの時期が無理なくスムーズに、
良質な種を蒔けるかが決まってくるように感じます。




それらを見極め、エネルギーを活用するには、
高い意識が必要ですが、その意識をこつこつと
積み上げてきたように思います。




その長年の実験ともいえる様々な積み重ねが
来年以降に繋がっていくことを感じており、
自分自身に、とても期待しています。




他人ではなく、自分自身に期待ができること。
これはとても幸せであり、強い軸であると感じます。
他人に期待しているうちは、イコール、
他人の意向に左右されるということです。
つまり、他人のニーズを生きることになります。




話が逸れましたが、
大切なのは、自分の運気や性質を、いかに、
上手に活用していくかということ。
そしてもっと大切なのは、主体的に生きると決め、
それをちゃんと欲求すること。




運命や人や環境に流されて生きたい人にとっては
全くもって無縁の話ですが、
主体的に生きたいと思うならば、決意や覚悟次第で、
人生はいつからでも、どんな状況からでも、
変えてゆくことが出来るのだと思います。




2017年7月21日

"怖れ"の扉をノックする

人の感情の根源には、「怖れ」があると
言われています。




中国の陰陽五行説にもありますが、
肝臓=怒り
心臓=喜び
脾臓=思慮
肺=悲しみ
腎臓=怖れ
といったように、内蔵も感情と繋がっています。




内臓との関係性は今日は置いておきますが、
自分の感情を観察していますと、
感情のレイヤー構造を感覚で感じることができます。




何かしら怒りが湧いた時、その感触をありのままに感じ、
丁寧に丁寧に観てゆくと、必ず、
その根底に”怖れ”が見つかります。
そこに行きつくまでの過程は決して心地のよいものでは
ありませんが、解放にも繋がる作業のひとつです。
(実践した方にしかわからないと思いますが・・・)





自分のうちにある怖れを見るのは、誰もが怖いので、
ほとんどの人が、怖れに何重にも蓋をし生きています。




一番のヒントは、怒りの感情であると思います。




簡単なところの例でいうと、
「何で、わたしのことわかってくれないの?」
といった怒りが湧くとき、そこを丁寧に見てゆくと、
怖れに行きつきます。




怒りの下にある本心は、
悲しさ。
悲しさの下にある本心は、
寂しさ。




そして、女性の場合だいたいが、寂しさの下に、
「愛されることへの怖れ」に因子があると思います。
男性の場合は、「認められることへの怖れ」でしょうか。




その怖れを見てあげられるのは、他でもない自分自身であり、
見てあげない限り、"自動的"に他人に依存することになります。




心には、構造や仕組みといったロジックがあり、
それをまず理解することは、自分の心の平安はもちろん、
他者との人間関係にそのまま反映されてゆきます。




湧いてくる感情には、意味があるということ。
無知でいるのは、もったいない。




感情を野放しにせず、感情を人生に活かすこと。




楽しみましょう^^




2017年7月20日

同志の友と、生まれ故郷のエネルギー

来月エステティシャン時代の同志達と会えることになり、
とても嬉しく楽しみである。




まだ地元にいた頃の、
その時代のことを少し思い出していた。




サロンの立ち上げメンバーでもあったわたしたち、、
ともに泣き、ともに笑い、ともに励まし、ともに称え、
本当に毎日が楽しく青春の延長のような時期だった。




帰省した際、美容のモニターをお願いしているが、
「もちろん喜んでするよ」というその一言の中に、
どれだけのエールと勇気をもらえることだろう。




いつも連絡を取り合うわけではないが、
同郷の友や親戚や家族には、目に見えない領域での
後押しをいつもいつも感じ、そのエネルギーが
魂の栄養になっていることは、間違いないのである。




少し話はそれるが、
以前恥ずかしながら、生まれ故郷を愛せない時代があった。




そのとき言われたことが、
「生まれ育った土地からは、あなたに常にエネルギーが
送られてきている。だけど、あなたが土地を愛せない限り、
そのエネルギーを受け取ることは、決して出来ない。」
という言葉であった。耳が痛かった。




思うに、それは親の愛と似ているように感じる。




土地にもエネルギーがあり、特に、
生まれ育った土地というのは、
自分がどう感じていようが多大な愛を送ってくれている。




親と同様、まさに自分の根っこの部分ともいえる。




その根っこを受け容れられない、もしくは、
否定するということは、つまるところ、
潜在的な自己否定に繋がっている事は想像に難くない。。




生まれ故郷のエネルギーとは、母の慈愛そのものであり、
故郷を受け容れ愛せたときに、その慈愛が優しく大きく、
自らに流れてくるのを感じることでしょう。



2017年7月19日

アゲインストの風

風には、追い風と向かい風があるが、
飛行機が離陸するときというのは、
向かい風(アゲインスト)に向かっていくのだという。




そこで発生する浮力を使って
あの重い機体が、離陸できるのである。




人生に、アゲインストの風が吹いているような時は、
上昇気流にのる手前だと思おう。




もし仮に、人生の前提として、
幸せを創る、幸せになる、と決めているならば、
機体は、幸せにしか向かわないし、
全ての航路は進化成長の道、そのものだ。
時差はあれど、人生の前提が現実化する。




どんな方向に生きたいのか。
どんな生き方をしたいのか。
どんな創造をしたいのか。




本心からくる”生き様”や”在り方”といった
高い精神性の前では、追い風も向かい風も、
あまり変わりがないことを、きっと知ることだろう。
(渦中にいるときは、ジタバタするけど^^;)




状況だけを変えようとしないこと。




自分の生きる目的を見つめ、
本当に創造したい想いを見つめること。知ること。




いつも、どんなときも、
ここから始まるのだと、思います。






2017年7月18日

わたしの想い〜blogを綴ること〜

最近色んなところで、「blog楽しく読んでます」と
言ってくださる方がいらっしゃり、ありがたく嬉しいです。




ビジネス目的でもないので、
発信の対象がぼやけている所もありますが、
だからこそ、好きなように綴っております。




自分の変化変容にしたがい、
「発信したい」という情熱が湧く内容も変わるのですが、
読んでくださる方が、
「自分の本当の幸せへと続く可能性に気づければいいな」
というのが、ずっと変わらない想いであり、
私がblogを書く、小さくも大きい目的です。




その目的が達成するには、
わたし自身が成長しもっと幸せになることに、
どこまでも遠慮をしないことだと感じています。




引き続き、赴くままにコツコツと綴ってまいります。
どうぞよろしくお願いいたします。





2017年7月17日

人との縁も、目的次第

出会った時は、何も感じなかった人が、
お互いに変化し成長していく中で
久しぶりに会ったりしたとき、
シンパシーを感じることがあったりする。




また逆も然り、ではあるけれど。。




友人とはどんな関係性でありたいのか?
パートナーとはどんな関係性でありたいのか?
家族では?
仕事では?




といった、
関係性の前提が自分の中にハッキリとあるので、
基本的に人間関係に迷うことはない。




前提に従って、現実は創造されていくものだが、
もちろん、その前提も成長とともに変わってゆく。




人の縁というのは不思議であり、
時に、人智を超えたものを感じますが、
その"縁"といったものにおいても
「どんな関係性を築きたいのか?」
といったクリエイションの意図や目的によって
出会う人は変わり、また、付き合う過程においても、
その関係性にいくらだって、
変化を起こせるものなのだと思います。



2017年7月16日

開拓者の魂

自分でも厄介なエネルギーであり、
だけどかつ、愛しているのが、
わたしは開拓者の魂だということ。




人がすでに作った道を歩くのが、
どうやら苦手なようです。




「石橋を叩いて渡る」ことは愚か、
石橋を叩いて壊して、自分で創って渡る。




そんなアグレッシブなエネルギーであること。




自分自身が、そのエネルギーの持ち主であることを
心底、認めることが必要な気がしています。




エネルギーをもっと使いこなせるようになることが、
目下の課題であり、楽しみです。





2017年7月13日

魂の栄養だけに使いたい

以前、集中してアファメーション*の
ワークをしていた時期があった。
(*言葉を用いてする肯定的な自己宣言で
潜在意識に働きかける目的のもの)




その頃どうにもこうにも波動が落ちており、
どうやって毎日を生きていたのかあまり記憶がない(笑)
とにかく必死に這い上がろうとしていたことだけは
覚えている。




さて、アファメーションだが、
これは本当にパワフルな変化をもたらした。
自分でその宣言文を作成していたが、
100種類くらいは作っていたように思う。




この宣言文の作成には細やかなコツが必要であるが、
すっかりノウハウが身についてしまい、
アファメーションの講座が開けるくらいである(笑)
(実際、カウンセリングの仕事をしていた際に、
手法のひとつとして、とても好評でした^^)




そんなアファメーションを久しぶりに
何となくまた唱えたくなり、ここ最近唱えているが、
これが驚くほどの効果であり、
自分のある領域のエネルギーが変化したのが、
手に取るようにわかる。




言葉には力があり、そして、生きている。




それは、自分(他者)のいのちや魂への、
栄養素にもなれば、呪いにもなる。




人にも自分にも、
魂の悦びや進化成長のためだけに使いたいと、
強く強く感じます。



2017年7月12日

周りの人を幸せにしたいなら

何を置いても、まずは、
自分を幸せにすることだと思います。




ここのところ、
そのように生きていらっしゃる方が周りに多く、
わたし自身の生き方や在り方の主軸も
進化してきている証だと感じ嬉しく思います。




周りの人をもっと幸せにしたかったら、
自分自身がもっと幸せになること。




これしかないのだと思います。




それにはまずは、今ここの幸せ、つまり、
「無い」ところではなく、
「在る」「有る」といったところを見て、
エネルギーを傾けることなのだと思います。
"見る"ところに、エネルギーは集まります。




無条件で自分を許し、
今すでに在るモノに感謝し慈しむ。
無条件で自分を認め、
今まで創ってきたコトを尊ぶ。




自分の深い掘り下げと、そして、
本質へ戻る時間旅行の中に、
この時期、わたしは生きております^^




2017年7月11日

ただただ、見ること

丁寧に丁寧に、
自らの"思い"の一部始終を見届ける。




丁寧に丁寧に、
自らの"言葉"の一部始終を見届ける。




「見届ける」「見守る」ということに、
崇高で尊く、そして果てしない愛を感じる。




許そうとしなくても、いい。
エネルギーとして、感じること。
そこには、言葉は必要ない。




ただただ、見守ればいい。




それだけで、自分のいのちが悦ぶ。




宇宙の不思議。宇宙の神秘。





2017年7月10日

エネルギーの使い手になる

先日、久しぶりに30分ほどランニングをした。
ランニングをするといつも思うのは、
本当に私には運動が大切だということ。。
いうならば、動的瞑想といったところである。




今までも、色んな方からも、
「あなたはエネルギーが強いから、
運動で外に出さないとダメだよ。
じゃないとエネルギーが腐敗して運気が下がるよ。」
とか、
「何もすることがなかったら、
とにもかくにも、あなたは身体を動かしなさい。」
というようなことを言われ続けてきたのです。




久しぶりに走ると、
その言わんとしてることが良くわかります。




本当にそうなのです。
まるで波動が変わるのです。
エネルギーが循環するのがわかるのです。
身体の全チャクラが活性するような感覚があるのです。




持っているエネルギーが強ければ強いほど、
扱い方のセンスとスキルが問われる。




だいぶ上手にその手綱をひけるようになりましたが、
さらに磨いて、この強いエネルギーを、
人様に役立つことに使ってゆきたいと思っています。



2017年7月9日

やる勇気、やらない勇気

今年は公私ともども、色んなオファーをいただく年である。
だがこれは、今年に入る前から予測していたことでもある。




「チャンスの女神は前髪しかない」
この言葉を初めて聞いたのは、22歳の頃だっただろうか。
そのときは衝撃的であった。




チャンスが来たときに迷わず前髪を掴まないと、
もう次の瞬間には、前髪しかない女神は後ろを向いており、
チャンスを掴むことが出来ない。といった主旨のその話は、
わたしのチャレンジ魂を、大いに振るわせるものだった。




この「チャンスの女神」の話は、もちろん真実であり、
そのように生きてきた。




だが、これはわたしの経験談に過ぎませんが、
掴まなくてもいいタイミングというものも、あるものです。




そのときに、女神の前髪を掴まないことによって、
数ヵ月後、数年後に、もっと自分に合った女神や、
また、自分が成長したことによって、
以前のチャンスの女神もさらに進化した状態で、
引き合うということがあるように感じます。




もちろん縁がなくなることもありますが、
いただくチャンスの内容以上に、
自分のそのときの状態を大事にしたいのです。
冬の時期に種を撒いては、いけない。




わたしの昨年と今年とは、そのような2年間であり、
形のない目に見えない領域であるとか、自分の精神性を
みっちりと充実させる時間にあてているため、
おこがましくも、現実的に表舞台に立つような話の
オファーに関しては、ほとんどをお断りしている。




あえて、来年以降に、決断の時期をずらしている。




多くの人にとっては、環境を大きく変えたりして何かに
チャレンジすることには、勇気と覚悟が必要だと思うが、
変化に強いわたしにとっては、「やらない、乗らない」と
いった選択のほうが、むしろ勇気と覚悟が必要である(笑)




やる勇気、やらない勇気。
人生には、どちらも大切。




自分の性質や運気の作用といったものを見極めて、
人生創造を大いに楽しみたいですね^^




2017年7月8日

憧れの中にある、あなたの原石

憧れるような人、
あんな風になれたらいいなと思う人、
その人たちに対して感じる魅力は、
自分自身がすでに持っているもの。




そうして、まだ発揮されていないもの。





わたしたちは自分にないものは思えないので、

自分自身の内側に、その魅力が在るということ。




それはまるで、自分の中に眠っている
ダイアモンドの原石のようです。
その原石を自ら拾い上げて、
磨いてゆくことが大切だと思います。




逆にいえば、磨くべきタイミングがきたから、
他人への憧れという感情を使い、
その方向性を見せられているということ。




自分の可能性との出会いの瞬間です。




多くのアクセスをいただいた、こちらの
嫉妬心についてのエントリーにも書きましたが、
あらゆる感情は、魂の青写真のナビゲーター。




それを見つけ出し育ててあげられるのは、
他ならぬ自分自身です。




憧れを、現実に^^



2017年7月7日

わたしの想い~願いごと~

宇宙の崇高な原理とつながり



健全で美しい肉体と純粋な魂を保ち



精神的にも物質的にも充分に満たされ



愛する人と魂を共鳴させ



家族や友人や大好きな人たちが周りにいて
みんなが幸せで



好きな人と好きな場所へ好きな時にいき
地球のあらゆる美しいモノを見て触れて



仲間たちと笑いながら仕事をし
新しいコンセプトを創造し合い



そうして、



たくさんの人と地球に貢献し



心ふるえる美しい瞬間で人生を埋めつくすこと




~七夕に寄せて~
Love ❤️




2017年7月6日

感じたことを、1ミリも疑わないこと

今朝、目覚めると、
「このことはもう、私が努力して
どうこうする段階のモノではないんだな。
もう、天に任せるしかないんだな」
と、感じることがありました。




それはある意味、
自分への赦しともいえるかもしれません。




人事を尽くして、天命を待つ。




この言葉が好きですが、、
「ではどこまで努力し、人事を尽くしたらいいのか?」
という問いがわたしの中にあった。




ですが、ひとつの答えとしては、
「もういいか」と自分が感じるまでなんですね。
人は明らかに見れたときに、諦めがつきます。




「陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる」
という陰陽思想にもあるように、
極まることでしか、明らかに見れないし
手放せないということもあるのだと感じます。




正解は、誰かが運んでくれる訳でもなく、
また、どこか遠くにあるものでもなく、
自分が今感じたことが、正解なのです。




どの段階の次元でそれを感じたとしても、
その奥には、全ての次元が詰まっているように
感じます。




「幸せや悦びを感じ尽くすこと」
「進化成長すること」
これらがわたしの揺るがない、生きる前提。
生きる意味であり、いのちの根幹にあるものです。




であるならば、身体も感情も、
幸せを感じ、進化成長する方向に向かう気づきであり、
現実もそこに向かうことしか起きないと感じます。




本当に、身体も感情も、絶対に間違わない。
必ず意味がある。




深い深い、自己信頼とともに、在りたいと思います^^



2017年7月5日

他者目線を支える土台とは

他者から見られているという意識は、人を激変させる。




例えばデビューしたばかりの女優やモデルの方が、
人から見られるという意識をもつことで
みるみる洗練されていくという話のように、
「見られている」という意識は、革命を起こす。




わたし自身の人生においても、
小さいながらもそのような経験はある。




だが、この「見られている」という意識は、
扱い方に、とても注意が必要だと感じる。




なぜなら、
「どう見られているか?」という意識の根底に
"怖れ"があった場合、人は、その怖れに、
"無意識に"自動操縦されやすいから。
(とはいえ、怖れを否定する必要もないのです。
怖れは怖れとして、しっかりと感じることが大切です。)




そうなると、
他者のニーズにリードされた生き方へと、
堕ちていってしまうのだ。




人からどう見られようが、
どう思われようが、
そして、どんな自分であろうが、
わたしはわたしを認めている。




人生のどんな役を演じようとも、
そして、誰にどう見られようとも、
揺らがない自分への信頼。




美しくいきるにも、
創造的にいきるにも、
根底は、ここにあろう。




その土台があってこその、
他者から見られているという意識であるかどうか。




極め、そして、人生を謳歌したい。