2017年11月22日

冬の時代の過ごし方

この20162017年の2年間、
わたしの人生のバイオリズムにおいて
春夏秋冬で表現するところの冬の時代であった。



結果として冬の時代であった、、ということではなく、
2016年に入る前からそれは予測していたことなので、
この冬の時代を積極的にとらえ
2018年からの春の時代に蒔く種や、種を蒔く土壌を、
いかに最高のものにするか?にフォーカスをしてきた。



それは、自分の精神に深く潜ることであったり、
それは、社会的に新しいことをしないことであったり、
それは、目に見えない世界を深く理解することであったり、
それは、現実的な契約を交わさないことであったり、
多義にわたる。



冬には冬に、すべきことがあるのです。
冬には冬にしか、出来ないことがあるのです。



人生にはバイオリズムというものが、必ず存在し、
ひと回りして成長し、その円環をひとつ閉じ、
そしてまたひと回りして成長し円環を閉じていくというのが、
人間の成長過程であり、
宇宙のリズムと足並みを揃えるということだと思う。



そういった宇宙の法則を知らない限り、
冬の時代というのは
ひとことでいうと本当につまらないし(笑)
先が見えにくく人生が止まっているように感じるので、
無駄に焦ったりして余計なことに手を出しがちなのです。



何かを「する」ことより、何かを「しない」ことの方が、
動のエネルギーが強い人は注意が必要でセンスが問われる。
(静のエネルギーの人は逆となります。)



自分のことをよく知ることとは、
人生のバイオリズムをよく知ることでもあります。



それはまた、
天体や宇宙のリズムと一体となることに繋がり、
物事が違和感なくスムーズに進むことに
直結しているのだと思います。



春には春の、夏には夏の、
秋には秋の、冬には冬の、
過ごし方と楽しみ方が、等しくあるのだと思います。






2017年11月17日

誰に知られずとも、そうであるか

本当の想いであるということが大切です。



仕事だって恋愛だって、本当の想いであっても、
相手に伝わる場合もあれば伝わらない場合もある。



ですが、時をこえてその思いは、
形を変えるなんてことは往々にしてあるし、
何よりも
その時の自分の気持ちが本当の気持ちであれば、
清々しくいれます。
これがとても大事です。



何を言ったか以上に大切なのは、その在り方。



その言葉や態度が
自我の怖れや不安を埋めるためではなく、
純粋な領域からくる本当の気持ちと意図であるならば、
そのことそのものに自信と誇りをもてるし、
相手がいかなる反応であっても
受容れ認めることが出来るものです。



それを可能にするには、
またいい方を変えれば、
本当の想いや魂の願望を表現し生きるには
それ以前に、自己愛という土台があるかないかが
大きく関わってきていると感じます。



誰に知られずとも、わたしがわたしを誇れるか。
誰に知られずとも、わたしがわたしに「YES」といえるか。
誰に知られずとも、わたしがわたしに「OK」を出せているか。



本当の想いを表現することの前に、
大切なのは実はそこではないかと感じます。






2017年11月1日

決意し、生きること

何と無く、、で、生きない。
ということが、とても大事だと思う。




食べることも、
日常の小さな買い物も、
電車に乗ることも、
どこかに出かけることも、
誰かと会うことも、




日常の全てに、
目的と意図がそこにあるだろうか。

当たり前に選んでいるそのことに、
いのちとしての選択があるだろうか。



大げさに聴こえるかもしれないが、
ほんとうにそんなように生きるとき、
毎日が信じられないくらいに彩りを増す。



すべての選択に、いのちを通す。
それをエレガンスというのではないだろうか。



呼吸をし、生きてるだけでも、
誰かに貢献はしていることでしょう。


今の日本では、ぼんやりと生きていても、
それなりの幸せを感じて生きる事ができる。

その生き方において、
「今日死んでも、何の後悔もない」
と言えるなら、本当に素晴らしいと思う。




人それぞれの生き方があり、
エネルギーの強さも大きさも違えば、
欲求も願望も違う。




ですが私は、

ただ何と無く、、で生きるなんて、
まっぴらごめんです。



大切なことは魂の望みを生きているかどうか?
後悔しない生き方をしているかどうか?
と問うこと。



問うことは、生きること。



目的をもち、その選択を決めていれば、 
如何なる結果になろうが後悔することはなく、
開かれた未来に必ず繋がる。



日常の些細なことであっても、
人生の岐路になるような大きなことであっても
何においても主体的な目的を持ち、
決意して望むということが大切だと思います。