2017年5月31日

言葉を書くこと紡ぐこと

ブログを毎日書くようになり、2週間が経ちました。
小さい頃から書くことが割と好きで、
日ごろもノートを持ち歩き、感じたことや感情を
言葉にすることには慣れていますが、
ブログを毎日書くのは何年かぶりです。





「ペンは剣よりも強し」という言葉を
最初に教えてくれたのは父でしたが、
言葉には得体の知れないパワーのようなものがあり、
父はそれを知っているのだな。と、
父の威厳とともに、幼心に感じたのを憶えています。





聖書にも「はじめに言葉ありき」とあるように、
言葉は人の心を、人の人生を大きく動かします。





わたしが今現在、ブログを書いている理由は、
書くという行為自体が”癒し”なのもありますが、
何かを人に伝えるということ以上に、
自分の中で混沌と彷徨っている段階の意識を、
言葉にして表に出すことで明確にしたいから。





自分とはどんなで、何を求めどこに向かうべきかを、
自分自身にナビゲーションしてくれるのが言葉であり、
時にそれは、人生のシナリオさえ書き換えられる
強力なツールとなります。





いずれ人の心を目覚めさせるような言葉を発信できたら、
嬉しく思います^^





2017年5月30日

いのちを頂くということ

地元の友人に、狩猟師がいる。
自ら山へ入り、熊や猪や鹿や鴨などを撃ち仕留め、
それらを自身の店で振舞っている。





東京からも、有名なフレンチのシェフが、
お忍びで何人も、そして何回も訪れるらしく、
最近は噂を聞きつけて、海外のシェフも来られるそうだ。





なぜ、そんなにシェフたちを魅了してしまうのか?





それは面白いことに、全く調理をしないからだという。
塩のみで火を入れ、彼曰く、「ソースは嫌い」(笑)
そのままを、まさに食らう。
それでも、それらを口にした三ツ星シェフたちは、
「これが一番旨い!」と唸ってしまうらしい。





私もいただいたことがあるが、本当に感動する。
カラダに染み渡る領域が、本当に深い。
いのちを頂くというのはこのことかと、本能でわかる。
ダイレクトに、自分のいのちに届くのがわかる。
そして不思議と、その動物のいのちに対する感謝の念が
自然と湧くのである。





とうことを述べておきながら、ではあるが、
私は、フレンチやまた懐石料理なども本当に芸術であり、
伺うことはあまり無いが、魂を揺さぶるお料理に出会うと、
やはり、感動してしまう。
そこには、素材のエネルギーとともに、
シェフの魂からのエネルギーもこめられている。





それぞれに、違う悦びと感動がある。





食べるということは、自分以外のものを、
物質的にもエネルギー的にも入れるということ。
それによって、いのちの循環がおきている。





食べることへの、
他のいのちへの、
またそれを繋げてくれる人への、感謝を忘れたくない。



2017年5月29日

個性を200%活かして生きる

自分はどんな性質であるかを知っておくことは
まず、大事だと思います。





今は、占星術や心理学などで
自分の特徴を簡単に知ることが出来るので、
そういったものを利用するのもひとつですが、
何れにしてもツールでしかなく、
やはり、生の体験に勝るものはないと感じます。





結局、いくら占星術や心理学、また例えば
スピリチュアルなセッションなどで、
自分の取扱説明書や宇宙の仕組みなどを知れても、
体験を通し、五感や感情を伴って初めて、
腑に落ち、次のステージに行ける瞬間が訪れます。
それが地球の法則なのでしょう。
じゃなかったら、肉体はいらないですものね。





自分というひとりの人間が、
どんな性質をもち、どんな魂を持ち、
どんなことに悦びを感じるのか。





自分を認め個性を理解し、その個性を200%で表現する。





自分と深く繋がり、個性を貫いていくことこそが、
いのちを燃やすということに繋がるのだと思います。
それは自らの自然治癒力を増加させますし、
周りにもパワーやインスピレーションを与えるでしょう。





そんな風に進化成長し、
魂の悦びを感じることに、私は限りなく貪欲でいたい。
そして同じように、
我が人生を謳歌する人たちと進んでいけたら、
それは本当に幸せなことです。



2017年5月28日

探究心のままに

そこに、何かがあると感じて、
そこに、宇宙の真理の神髄があると感じて、
探究し続けている領域がある。





今までも、その都度理論を学び、そして、
実践体験も重ね、ようやくここまできた。





なぜ、そこまでこだわってしまうのか、
なぜ、そこまで掘り下げようとするのか、
自分でもわからなかった。





だけど、やはりこの領域に神髄があったのだと、
今までのすべての学びと体験が繋がりつつある。





いつか、私の言葉で発信できる日を楽しみに、
体験を重ねる。





もう後、一歩^^




2017年5月27日

全てを、味わい尽くす

自分の弱い要素がどこなのかを、
自分自身が理解している。





そこを、恥じることもしていない。





恥じていた時は、人に話すことが
出来なかったが、今は笑って話せる。





大いに揺らぐし、大いに迷う。
大いに落ち込んで、そしてまた、
毅然と立ち上がる。





人の成長には順番や巡りがあるのだと、
つくづく思う。





一切の妥協をしない時期があり、
一切を委ねる時期があり、
そしてまた、
一切の妥協をしない時期があり、
一切を委ねる時期がある。
そのような繰り返しで、人は進化成長するという。





自我を構築する時
自我を破壊する時。
巡り巡られて、この世界は回っている。





素晴らしい世界。
この時代に生きている、奇跡。




2017年5月26日

一流の物に宿る精神

先日、久しぶりにセルジオ・ロッシの
ハイヒールを履いて出かけた。
ロイヤルブルーの美しい発色に心奪われて
購入した、12cmヒールのプラットフォーム。





私は小さい頃から”職人技”というものが好きで、
その美しい手さばきや、手から生み出される
芸術品を、旅先などで見て回るのが好きであった。
ワクワクし、いつまで見ていても飽きない。
美しい物が生まれるとき、必ずそこには法則があり、
その法則を見つけるのが、好きだった。





そしてやはり、一流ブランドのハイヒールも同じなのです。





工房にこそ伺ったことはないので(いつか訪れたい)
ハイヒールが出来上がるまでの過程を目にしてはいないが、
靴職人であった方の話を聞く機会があり、
そのクラフトマンシップに、深く感銘を受けた。





また実用品といった物には、"美しさ"は関係ないような
イメージがあるかもしれないが、全くもって否であり、
例えばキッチンナイフひとつとっても、
本当に使いやすく手になじみ、毎日、知らず知らずに
そればかりを手にとってしまうような物には、
高い実用性と同時に、必ず、ひとつの美が存在する。





そこには、創り手の"純粋な"スピリットが宿っている。





一流ブランドのハイヒールや洋服などはまたそこに、
崇高なデザイン性といった要素も含まれ、
デザイナーの魂×職人の魂、の見事な重なりがあり、
さらに、ブランドの歴史などといった
違う次元のエスプリが、幾重にも重なっている。





それらを感じればこそ、その靴に足を入れた瞬間
心も魂も動くのは当然の話、ではある。





身に纏う者も、一流でありたいと思います。



2017年5月25日

自ら、変化を起こすこと

春分の日から、まだ2ヶ月ほどだが、
生きる次元が変わったことを日々感じている。
考えること、出てくる言葉、感受性、
そして共鳴する人、、
その全てが、洗練されてきているように思う。





このブログにも綴ったが、
2ヶ月ほど前の春分の日に見た夢は、
555と777のナンバーが象徴された夢だった。





数字には宇宙の原理が含まれており、
555は、
「大きな変化がきている」
777は、
「祝福されています そのまま叡智の道を歩みなさい」
というような意味をもつ象徴の数字であるが、
まさに、そのままの2ヶ月であり、
自分自身が少し驚いている。





人は、変化を自ら起こせる生き物であり、
スピリットであり、魂であり、肉体でもあるが、
その全ての次元に息を吹き込んだ時、
(つまり、意識的になったとき)
ダイナミックな変化を起こせるのだと感じている。





今年は特に、内側の変化変容を仕掛けているので
現象化は来年以降になるものが多いと思うけれど、
その来年以降の大きな流れを創るためにも、
日々の妥協点を限りなく減らし、
自分自身の精神性と肉体のポテンシャルを
最大限に高めてゆこうと思っている。





以前はこのエネルギーの強さを卑下した時代があり、
(なんという自分のいのちへの冒涜か!笑)
到底使いこなせずにいたが、今は、
自身の持っているエネルギーの強さを愛しており、
そして、とても誇りに思っています。



2017年5月24日

安らぎの外へ、出る

小さなことだけど、自分との約束を
ひとつ、しようと決めた。
それは、あるひとつのことを、止めること。





心で決めた小さなことだけど、でも、小さなことが、
以外と自分の人生の足を引っ張っていたりするもの。





何かを”する”ことより、
何かを”止める”ことの方が難しいときがある。





潔く、止めよう。
この先に繋がる豊かな未来のために。





そして、潔く、進もう。
安らぎや安心よりも、素晴らしいものが、
この先にあることを知っているのだから。




2017年5月23日

ハイヒールがくれたふたつの魔法

私は、ハイヒールが好きである。
否、正確には、ハイヒールというアイテム以上に、
ハイヒールを履くことで齎される、
体のラインであったり、心の波動を愛しているのだ。





正しい歩き方のスキルがあっての話、
というのが大前提だが、
外反母趾などのトラブルが改善されるだけでなく、
足と脚の形が変わり、Body lineをも変えてくれるのが
ハイヒールの魔法である。





美しく歩くことは、美しく生きることに、
100%直結している。





それを、導いてくださったのは、パリに住む、
あるひとりの美しい女性。





私は、その方を思うだけで、心が強くなる。
その方を思うだけで、魂が震える。





人生にそのような出会いは、そう多くはない。





「美しい靴は、美しい出会いを運んでくれる」
そんなジンクスがあるけれど、
ハイヒールという美しいアイテムへの愛は、
私の人生に、まさに、
美しいひとりの女性との美しい出会いを与えてくれた。





それこそが、わたしにとって、
ハイヒールが齎してくれた
もうひとつの素晴らしい魔法なのです。





パリのAsamiさんへ。
愛と感謝をこめて。

2017年5月22日

美がもつ精神性とは

圧倒的に美しいものに触れると、
私は、涙があふれてしまう。





昨日、ずっと行きたいと思っていた、
グレーケリー展を訪れた。





そこにあったエネルギーは、
グレースケリーというひとりの女性の
圧倒的な愛と洗練のエネルギー。





そして、私が一番心が惹かれたのは、
彼女が身にまとっていた洋服であった。





以前、オートクチュール展に行ったときも
同じことを感じたが、それは、一流の洋服には、
美術品以上の価値があるのではないか?
ということ。





なぜなら、最高に美しい芸術品でありながら、
日常に身にまとう要素を兼ねているから。





五感の中でも、"触れる"ことは、
実は最も、魂に響く行為であると感じる。
だから、人は、人に触れたいと
本能的に感じるのだろう。
「今ここ」の実感も、この"触れる"ことにある。





グレースケリーが身にまとっていた洋服には、
彼女の気配や魂までもを感じた気がした。





だから、涙が溢れる。





その洋服に込められた作り手の思い。
そして、それを身にまとっていたグレースの思い。





美しさには、人の純粋な魂から紡ぎ出される、
思いがある。
その精神性を、私は愛してやまないのです。





2017年5月21日

夢を思い出す

いつの間にか、夢であったことすら忘れていたことを、
濃く強く思い出している。





常識的に生きることを知らず知らずに選び、
洗脳されることを許し、受動的に生きていることにすら、
違和感として感じなくなっていたのではないか。





本当に生きたかった自分とは、どんな自分であったか。





ただただ、自分の本心の真ん中に、100%正直に。





それが、全体性に繋がっていることを、
私は信じて、疑わない。


2017年5月20日

発信者であること

どの世界においてもそうだと思うが、
発信者と受信者では、
天と地ほどの、次元の違いがある。





そこには、すでに、生きる姿勢がありありと
あらわれている。





本当に自分の人生を創造していきたいならば、
発信者の側に生きることだと、わたしは感じる。





その言葉、その態度に、
責任も増えるのは当たり前だけど、
それ以上の恩恵がある。





誰しも、何かを表現したくて、
生まれてきたのではないだろうか。





大切なのは、意識的に生きるということ。
まずは、小さな日常から。




ひとつひとつの選択に
いのちをこめてゆくということ。

2017年5月19日

一途であること

情熱をかけるものには、
とことん一途でありながら
だけどまた、
違う風を取り込む姿勢も
大事にしたいと思っています。





宇宙のあらゆる事象は
四大元素で表されるという。
それは、
火の要素、
風の要素、
水の要素、
土の要素。





わたしは本当に欲張りなので、
あらゆる元素を体現し、味わいたい。





宇宙の、地球の、
あらゆる叡智を活かし、味わいたい。






そんなことを、小さい頃から
やはり考えていた記憶があるので、
魂の喜びそのものであるのでしょう。






火のように熱く、
風のように軽やかに、
水のようにしなやかに、
土のようにどっしりと、
生きてゆく。


2017年5月18日

人生の流れを創り、乗る

ほんの少しずつではあるけれど、
来年の空気が入ってきているのを感じています。
6月21日の夏至を迎える頃には、もっと、
ハッキリと感じてくることだと思う。





来年から2020年までの3年間は、わたしにとって、
人生の1つの大きな山場だという感覚が強くあり、
仕事もプライベートも、その3年間に集約される
タイミングだろうと感じている。





今迄の人生の集大成でもあり、
同時に、今後の10年また20年の始まりでもある、
ひとつの大きな転換期の3年間。
人生にそう何回もないというような、
ドラマ感がくるように感じている。





話す言葉が、変わるでしょう。
付き合う人が、変わるでしょう。
暮らす場所が、変わるでしょう。
生きる次元が、変わるでしょう。






「石橋を叩いて渡る」ことが、
大事な場所も、大事な時もある。
だけど、人生は、
「石橋を叩いて壊して、自分で創って、渡る」
ということも、出来るのだと思います。
それは、生きる次元を変えたとき可能になる。





それでも、そこに進みたい。
それでも、そのことをしたい。





そんな純粋な動機に突き動かされて、
これからの人生も創っていきたいと思っています。


2017年5月7日

女性性を謳歌する

女性性の時代が来ていることを、身近に感じている





女性性を謳歌する生き方
女性性を活かした働き方





それが今、時代の流れとしてある





個人のレベルにおいても、
女性が自らの女性性を認め愛し表現するとき、
自然発生的に男性にも愛されてしまうのは
当然のことであろう





直感的で、感覚的で、したいことに理由などなく、
共感性に満ちており、大地にも海にもなれるような
底知れぬエネルギーを持つ





男性も女性も、すべての人の中に、
男性性と女性性がバランスしているので、
上手にそれを使えばいいが、
女性が受け取ったインスピレーションを
男性が建設的に現実化するという流れも、
きっともっと増えていくように感じている





自分の内の女性性がもつ本能的な欲求を
正直に素直に豊かに、
もっと表現していきたいと思っています。