2017年6月26日

言葉がもつ、神聖さ

昨年、パリを旅したとき、
とても不思議な感覚があった。




それは、云うなれば、
言葉がわからないという心地よさ。




日本で生きていると、当たり前だが、
言葉で理解し、言葉で思考し、
言葉でコミュニケーションをとる。




それが、一切できないとどうなるか?
というと、言葉ではない領域の感覚が
目覚めるようで、本能や五感や、第六感と
いわれるような感覚までもが、
研ぎすまされていくような感覚があった。




不思議と、行きたいところにはスルスル行けたし、
伝えたいことが伝わった。




この経験は、言葉についての色んな洞察を
わたしにもたらしてくれた。




「はじめに言葉があった」
というのは、聖書の有名な言葉であるが、
古代は言葉を扱えるのは、位の高い人だけだった。




言葉というものの、偉大さと、不思議さと、
神聖さを感じてならない。






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