2017年5月30日

いのちを頂くということ

地元の友人に、狩猟師がいる。
自ら山へ入り、熊や猪や鹿や鴨などを撃ち仕留め、
それらを自身の店で振舞っている。





東京からも、有名なフレンチのシェフが、
お忍びで何人も、そして何回も訪れるらしく、
最近は噂を聞きつけて、海外のシェフも来られるそうだ。





なぜ、そんなにシェフたちを魅了してしまうのか?





それは面白いことに、全く調理をしないからだという。
塩のみで火を入れ、彼曰く、「ソースは嫌い」(笑)
そのままを、まさに食らう。
それでも、それらを口にした三ツ星シェフたちは、
「これが一番旨い!」と唸ってしまうらしい。





私もいただいたことがあるが、本当に感動する。
カラダに染み渡る領域が、本当に深い。
いのちを頂くというのはこのことかと、本能でわかる。
ダイレクトに、自分のいのちに届くのがわかる。
そして不思議と、その動物のいのちに対する感謝の念が
自然と湧くのである。





とうことを述べておきながら、ではあるが、
私は、フレンチやまた懐石料理なども本当に芸術であり、
伺うことはあまり無いが、魂を揺さぶるお料理に出会うと、
やはり、感動してしまう。
そこには、素材のエネルギーとともに、
シェフの魂からのエネルギーもこめられている。





それぞれに、違う悦びと感動がある。





食べるということは、自分以外のものを、
物質的にもエネルギー的にも入れるということ。
それによって、いのちの循環がおきている。





食べることへの、
他のいのちへの、
またそれを繋げてくれる人への、感謝を忘れたくない。