2017年7月5日

他者目線を支える土台とは

他者から見られているという意識は、人を激変させる。




例えばデビューしたばかりの女優やモデルの方が、
人から見られるという意識をもつことで
みるみる洗練されていくという話のように、
「見られている」という意識は、革命を起こす。




わたし自身の人生においても、
小さいながらもそのような経験はある。




だが、この「見られている」という意識は、
扱い方に、とても注意が必要だと感じる。




なぜなら、
「どう見られているか?」という意識の根底に
"怖れ"があった場合、人は、その怖れに、
"無意識に"自動操縦されやすいから。
(とはいえ、怖れを否定する必要もないのです。
怖れは怖れとして、しっかりと感じることが大切です。)




そうなると、
他者のニーズにリードされた生き方へと、
堕ちていってしまうのだ。




人からどう見られようが、
どう思われようが、
そして、どんな自分であろうが、
わたしはわたしを認めている。




人生のどんな役を演じようとも、
そして、誰にどう見られようとも、
揺らがない自分への信頼。




美しくいきるにも、
創造的にいきるにも、
根底は、ここにあろう。




その土台があってこその、
他者から見られているという意識であるかどうか。




極め、そして、人生を謳歌したい。







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