2017年7月6日

感じたことを、1ミリも疑わないこと

今朝、目覚めると、
「このことはもう、私が努力して
どうこうする段階のモノではないんだな。
もう、天に任せるしかないんだな」
と、感じることがありました。




それはある意味、
自分への赦しともいえるかもしれません。




人事を尽くして、天命を待つ。




この言葉が好きですが、、
「ではどこまで努力し、人事を尽くしたらいいのか?」
という問いがわたしの中にあった。




ですが、ひとつの答えとしては、
「もういいか」と自分が感じるまでなんですね。
人は明らかに見れたときに、諦めがつきます。




「陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる」
という陰陽思想にもあるように、
極まることでしか、明らかに見れないし
手放せないということもあるのだと感じます。




正解は、誰かが運んでくれる訳でもなく、
また、どこか遠くにあるものでもなく、
自分が今感じたことが、正解なのです。




どの段階の次元でそれを感じたとしても、
その奥には、全ての次元が詰まっているように
感じます。




「幸せや悦びを感じ尽くすこと」
「進化成長すること」
これらがわたしの揺るがない、生きる前提。
生きる意味であり、いのちの根幹にあるものです。




であるならば、身体も感情も、
幸せを感じ、進化成長する方向に向かう気づきであり、
現実もそこに向かうことしか起きないと感じます。




本当に、身体も感情も、絶対に間違わない。
必ず意味がある。




深い深い、自己信頼とともに、在りたいと思います^^



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