例えば、自分は10の力であったとして。
例えば、神様は100であったとして。
ならば、
神様や宇宙と繋がって100の恩恵をいただいた方が、
10の自分が想像し得るよりも、
遥かに豊かなことが創造できるのは当然のことです。
それは、自助努力をしなくていいという話では
もちろんありませんが、あるタイミングにきたとき、
大きな存在に「委ねる」ということを
自分の生き方や在り方の中に取り入れていくと、
人生が飛躍的に繁栄し、また周りの人にも
その繁栄が広がっていくといったことが、
起きるように感じています。
「どうしてもこれだけは譲れない。」
という領域のものも当然ありますが、
「どうしてもこれだけは譲れない。」
と感じるものを、ふと手放す(手放せる)とき、
案外それが、神様や宇宙とのパイプが太くなる
きっかけになったりも、するものです。
それには、「どうしても譲れない」
と感じるその想いが湧く源流が、
怖れや不安から来ているのか、
それとも、
愛や喜びから来ているのかの見極めが鍵でしょう。
「自分以外に委ねるということ」
「自助努力をするということ」
そのふたつの両輪が見事に揃うとき、
想像し得る以上の恩恵が、自分と周りとにとって、
いただけるものなのだと思います。
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