2017年4月21日

日本文化のエレガンス

東洋も西洋も問わず、芸術的なものを愛していますが、
こと日本の文化芸術においては、次元の深さを感じます。


エネルギーの共鳴というのは、
強さというより、この次元の深さのことを示すのであり、
自分の意識がどこまでの次元を捉えているかで、
共鳴する人やモノが違ってくるというだけの話ではある。


以前、茶道を学んでいた京都での学生時代に、
息をのむような"楽茶碗"に触れる機会があった。


決して自己を主張するような意図はないのに、
そこにあるのは、圧倒的な存在感。


このエネルギーこそが、日本の芸術の真髄であると思う。


自我が、全く、ない。


であるのに、否だからこそ、心を捉えて仕方ないのは、
その茶碗の奥の奥に、目に見えない精神性の次元が、
何層にもなって折り込まれているから。。
遥かな宇宙へと繋がっている、
人智を超えた領域の息遣いを感じるから。。
だろうと思う。


それは、日本文化、
そして、本来あった日本人のエレガンス。


「自己主張のない日本人」の本来の意は、
言葉を超越していたこの次元で生きていたからであって、
わたしはこの太古の日本人の感性を、尊敬してやまない。
おそらく、日常において、
宇宙の叡智を感じながら生きていたに違いない。


太古の日本人の感性から、学ぶことは多い。


どの次元で生きるかは、もちろん自由であるが、
私は、宇宙へと繋がるその次元を感じていたいし、
そしてまた、上にも下にも自在に次元を行き来し、
その精神性を表現し、堪能したい。


こんなに美しく、面白い世界はないと、思っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿