「たゆたえども、沈まず」
フランス語では
luctuat nec mergitur.
パリ市の紋章にある標語である。
「あ〜本当にパリを象徴する言葉だな」
と思う。
そして、この標語は
真理をついているなと
思うのです。
揺蕩う(たゆたう)
=
物がゆらゆら揺らいで定まらない
心が動揺する、動く
という意味ですが、
わたしは、心の仕組みも身体の仕組みも、
この揺らぎというものがとてもとても
大切だと感じています。
揺れることは生きることそのものだと
言ってもいい。とすら思うのです。
何かのストレスを受けた時、
心は揺れます。
つまり、揺れることが、
クッションの役目も果たしている。
生理周期も身体の揺れ(波)でおきており
その揺れのおかげで排卵がおき、
妊娠可能な体となっているのです。
揺れることを止めてしまうことは、
そもそもの自然治癒力や生命力を
弱めてしまうことでもあるのです。
だからね、結論を言ってしまうと
体や感情が揺れることを怖れる必要は
ないということ。
そしてそれは、人生も。
<たゆたえども、沈まず>
心も身体も人生も、
揺れに揺れたとしても、
沈まなければそれでいい。
揺れることは、
可能性なんだよ。
怖れずに、、
でも、”怖れという揺れ”がでてきたなら、
それを丸ごと受け容れて。
それが、”沈まない”コツ。
揺れを受け容れていくことは
この時代を生き抜くひとつのヒントであり、
それは宇宙の真理でもあるのです。
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