東洋も西洋も問わず、芸術的なものを愛していますが、
こと日本の文化芸術においては、次元の深さを感じます。
エネルギーの共鳴というのは、
強さというより、この次元の深さのことを示すのであり、
自分の意識がどこまでの次元を捉えているかで、
共鳴する人やモノが違ってくるというだけの話ではある。
以前、茶道を学んでいた京都での学生時代に、
息をのむような"楽茶碗"に触れる機会があった。
決して自己を主張するような意図はないのに、
そこにあるのは、圧倒的な存在感。
このエネルギーこそが、日本の芸術の真髄であると思う。
自我が、全く、ない。
であるのに、否だからこそ、心を捉えて仕方ないのは、
その茶碗の奥の奥に、目に見えない精神性の次元が、
何層にもなって折り込まれているから。。
遥かな宇宙へと繋がっている、
人智を超えた領域の息遣いを感じるから。。
だろうと思う。
それは、日本文化、
そして、本来あった日本人のエレガンス。
「自己主張のない日本人」の本来の意は、
言葉を超越していたこの次元で生きていたからであって、
わたしはこの太古の日本人の感性を、尊敬してやまない。
おそらく、日常において、
宇宙の叡智を感じながら生きていたに違いない。
太古の日本人の感性から、学ぶことは多い。
どの次元で生きるかは、もちろん自由であるが、
私は、宇宙へと繋がるその次元を感じていたいし、
そしてまた、上にも下にも自在に次元を行き来し、
その精神性を表現し、堪能したい。
こんなに美しく、面白い世界はないと、思っている。
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